レゼジーの町からラスコー洞窟へ自転車で向かっていた。十五年くらい前のことだと思う。

夕方にレゼジーのかわいらしい駅に到着して、スーツケースを引いて町まで歩き、目についた貸し部屋に三泊の交渉をし、荷物をおいて町の主な部分を端から端まで歩いてみた。レゼジーはそれくらいのサイズの町だった。夏。宿に戻り、まだ青さの残る空の下をもう一度歩いて町の半ばまで歩き、気軽そうなレストランで一人食事をした。白ワインと砂肝のサラダと何か。フランス南西部の田舎をしばらく回った都市調査の半ばから、砂肝のサラダをよく食べていた。裏道を通ってみると、石積みの壁に伸びたツタがすでに赤くなっていた。町の上に張り出すような石灰岩の威容をしばらく眺めた。

翌日、午前中にレ・コンバレル洞窟を見学した。たしか事前に知らせる必要があり、洞窟にはガイドが連れていってくれた。それが洞窟内に描かれた先史美術と呼ばれるものをはじめて自分の目で見たときだった。暗さやひんやりとした湿気や匂いなどの記憶。音のひびき。そして刻まれた線で描かれたさまざまな形。午後はフォン=ド=ゴムの洞窟を見学した。次の日の午前、前日に見つけていた貸自転車の看板を出している店を訪れて、夕方には帰ってくるという約束で自転車を借りた。緑色で、私には少し大きなサイズだった。

ラスコーのある町、モンティニャックまではほとんど一本道で迷うことはない。25キロくらいの道のりのほとんどは山か林の中を通る片側一車線の車道だった。車通りは少ないものの、逆に不安になるくらいにひっそりとしていた。いつものように24ミリのレンズを付けたままの一眼レフカメラを携帯していて、何枚か写真を撮りながら自転車を漕いでいた。その道中、渓谷の風景が開ける場所があり、路傍に自転車を傾けてその風景と自転車の写真を撮った。

モンティニャックの町までの道のりのほうが、モンティニャックに近づいてからラスコー2(という名のラスコー洞窟の再現施設)に向かう道のりよりもよほど分かりやすかった。地図は持っておらず、モンティニャックの観光案内所で一枚もらってからラスコー2へ向かった。モンティニャックの記憶はほとんどない。何か黄色の建物があった。もともとのラスコーの閉鎖された入口を見ようと思ったが、結局近づけなかった気がする。

ラスコーからレゼジーへの帰路もほとんど記憶がない。陽が落ちるのが恐しくて急いでいたような気もする。その日のうちに自転車を返した記憶もあまりないが、おそらく返したのだろう。その日以降、フランスで自転車に乗った記憶はない。翌日には国立先史博物館を訪ねた。ちょうど拡張工事が終わってまもないころだった……のではないかと思う。その後アブリ・パトーを訪ねたが開けていなかった。駅の方まで再び歩いてみるなどした。手元にあるポッシュ版のアンドレ・ルロワ=グーランの一冊は、たしか、そのあとレゼジーを離れてペリグーの町で電車を降り、通りで見かけた小さな書店で買ったもの。